朝礼挨拶・スピーチのネタおよび実例集

なぜ、「ここまででいい」という線をあらかじめ引くのか?

 

大富豪や財閥という言葉は、いまの日本の社会ではぴんとこないかもしれませんが、戦前の日本ではそのような存在が日本のリーダーとなっていました。その代表格である野村徳七は大阪に生まれ、幼名を信之助とと言いました。

 

やがて家業の両替商の野村徳七商店を注ぎ、証券界への参入します。経営分析などの科学的な研究を導入し、調査部を設置したりして、近代的な方式を多数取り入れ、業績を伸ばしていきました。さらに日露戦争後の追い風に乗って、株式相場で大成功、巨万の富を得るのです。

 

しかし野村氏はもうここまででよかろうとは、決して思わない人でした。欧米視察旅行の途中で立ち寄ったニューヨーク、そしてウォール街の圧倒的な活気と勢いに衝撃を受けて、日本一の金融家になろうと意欲を燃やします。

 

大正期には大阪野村銀行(後の大和銀行)や野村證券を設立して金融財閥の基礎を築き、さらに昭和期になると、野村證券、野村製鋼、野村殖産貿易などを含む総合財閥を一代で育て上げたのです。茶道、能楽にも造詣が深く、古道具収集家としても知られ、野村美術館にその数々の美術品を見ることができます。

 

 

出典:1分でまとめる気のきいた朝礼